はじめに、今回なぜ肩こりに注目しているのかというと、日本人の抱えている自覚症状のうち最も多いものは女性が肩こり、男性が腰痛となっていて、男性の2位で肩こりが挙げられているからです(国民生活基礎調査、2019、厚生労働省より)。
実際、理学療法士として勤務しているときも、鍼灸マッサージ師として活動しているときも、あまりに多くの肩こりに出会いました。多くの方が悩み、自分自身でネット上にあふれた情報をかき集め、知識を豊富に持っていますが、なかなか充分な改善には至らず、症状は残っている状態です。そこで、あらためて知識をおさらいして、もう一度一緒に肩こりに立ち向かってほしいと思います。
肩こりという名称
これはみなさんがご存じかもしれまれんが、『肩こり』という病名はありません。次回詳しく紹介しますが、人によっていろいろ感じる症状を総じて『肩こり』と呼んでいるわけです。ですので検査の数値などを調べ、細かい診断基準によって医者が決めるわけでなく、自分が肩こりといえば肩こりなのです。
この肩こりという言葉、いつからあるのか調べたことがあります。元々は2000年以上も前、人間は狩猟生活から農耕生活へと変わり、身体はその運動機能をもて余すことになり、肩こりになったといわれています。歴史の中でご先祖さまたちは、肩こりから逃れるべく、まず『揉み療治』をあみ出します。按摩という学問もできました。757年、奈良時代のことです。ただし肩周辺の辛い症状はあっても、まだ『肩こり』という言葉があった記録までは見つかっていません。
それからずいぶん時間が経ち、1910年の明治時代になると、有名な夏目漱石の文章に、肩こりの記載が出てきます。それから肩こりという名称は一般国民に広く使われるようになり、当時の国語辞典にも掲載されたようです。夏目漱石は物書きの上に神経質だったという説があり、漱石もずいぶん肩こりには悩まされたのではないでしょうか。
さらに私が学生時代に勉強した際、興味深かったのは、肩こりは外国人にはない!?という話です。どうやら肩の痛みはあっても肩こりという概念がないようで、肩こりの英語表現も見当たりません。「kata-kori」とカッコよく言えば通じますかね(笑)。
実際、外国人の体に触れる経験は多くはないですが、コロナ以前はたくさん日本にも外国人が来ていましたので、何人か触らせてもらったことはあります。そして日本人と同じように肩は凝っているじゃん、と私は感じました。でもそんなことを気にしていないし、ましてや病院に通うなんて、ばかげていると考えているでしょう。体格差というより性格の差かな、と思いました。
ただ、マッサージや鍼治療を受けると「Oh。Ra-kuになった。great!」と驚いていたので、外国人にも間違いなく肩こりの症状はあるんでしょう。しかし本人が肩こりでないと言えば、それは『肩こり』ではないのです。おもしろいですよね。